群馬大学弓道部百年史
発刊のことば
黎門会会長 瀧上 昭治
群馬大学理工学部弓道部創立百周年記念事業の一環として、「群馬大学弓道部百年史」がここに刊行される運びとなりましたことは、誠に喜ばしいことであります。
母校は大正4年に桐生高等染色学校として開校されて以来、桐生高等工業学校、桐生工業専門学校を経て、昭和24年に新制の群馬大学工学部となりました。また、平成25年には学部および大学院が改組・再編され、理工学部、理工学府、理工学研究院となっております。
母校弓道部は、桐生高等工業学校と改称された大正9年に、校友会運動部に野球・弓道の二掛(後に部)が新設され誕生したといわれており、本年は創部九十九年にあたります。しかし、実際の弓道部としての活動は大正15年から始まり、昭和3年には師範として神永政吉(的宗)範士を迎え足利の神永道場で合宿し指導を受けるようになりました。初代道場は昭和5年に足掛け3年かけて完成しました。旧制弓道部は昭和8年に全国高専弓道大会で初優勝すると、昭和10,11,12年には3年連続優勝を遂げるなど最盛期を迎えました。また、昭和14年には「啓真寮」とは別に、弓道部員のための「遊神館正気寮」が、翌年には別棟に「豪傑寮」を開設しここを本拠に、当時の先輩達は戦時中、青春の情熱を燃焼させたといわれております。しかし、戦況の悪化により遊神館正気寮は、昭和19年9月に寮の再建の決議文を作成し各人が署名・血判して閉鎖されました。これに伴い高等工業・工専時代の弓道部は、休眠状態に入りました。
新制弓道部は、昭和34年6月に設立が承認され、昭和35年12月には工学部のガラス工場を移設改築した4人立ちの第2代道場が建ち、ここに漸く弓道部は長い休眠から復活しました。翌年の昭和36年3月に道場落成祝賀会が行われ、この時に後援会「黎門会」が結成されました。
老朽化と部員数の増加により手狭となった2代目道場の建て替え計画は昭和44年頃から顧問教官の木下茂武先生のご指導の下で始まり、昭和49年3月に体育館東の現在の地に念願の6人立の第3代道場が新築されました。道場開きと落成記念式典は昭和49年4月に執り行われ、道場開きでは渡辺明康師範の四方固めの後、黎門会員と弓道部員による礼射が行われました。その後、現道場は大学と黎門会の援助を受け補修を繰り返し行い、築44年を経過した道場とは思えぬ状態で使用されております。
黎門会は平成9年に創立七十七周年記念事業を行い、「群馬大学工学部弓道部八十年史」を刊行致しました。八十年史の主旨は、部誌「黎門」の創刊号から現在に至るまでの中から、多くの先輩達が執筆された記事を抜粋し、それぞれの時代に生きた一人ひとりの、生き方・考え方・活動にスポットを当て、単なる部の歴史ではなく、輝いた青春を記録に残し、後から来る人達に伝えようとするものでした。
この度、百周年を迎えるに当たり黎門会員有志から、百周年を祝おうという提案があり、平成28年6月に高輪和彊館で開催された黎門会総会において審議の結果、満場一致で創立百周年記念事業が承認されました。また、記念事業では八十年史発行以降の部史の編纂も行うこととなり、部史編集委員会が組織されました。委員会では、「群馬大学弓道部百年史」を新たに編纂するのか、あるいは、八十年史の続編とし、その後の20年間をまとめたものにするのか協議されました。その結果、八十年史は追記を必要としないくらい完璧な仕上がりであるため、百年史は、八十年史の主旨に則り、黎門二十八号誌以降からの抜粋と、群馬大学工業会に載った弓道部関係の記事、年表の加筆、並びに、新たに原稿依頼を行い、八十年史の続編として編纂することに致しました。そのような訳で、百年史は第六編第二十三章より始まっております。弓道部の新たな100年の出発にあたり、この百年史と八十年史が、現役の弓道部員とこれからの入部してくるであろう弓道部員達に、歴代の諸先輩たちの弓道部への想いを伝える良き道標となることを切に期待致します。
おわりに、二年間にわたり休日を返上して熱心に編纂に当たられました、河添直樹委員長をはじめとする部史編纂委員の方々、印刷製本をお願いした上武印刷株式会社の飯塚誠司氏、並びに、発行に当たって多大な醵金にご協力頂きました黎門会員の皆様方に厚くお礼申し上げます。
平成30年12月
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